繊細な無意識
かつて、
キリスト者の内村鑑三が、
我々の胸を衝く、
次のような主旨の言葉を残しています。
人々は、なぜ、かくも悲しい物語を求めて読み、
悲劇の演劇を好んで観るのだろう。
彼らは、悲しい物語や悲劇の演劇によって、
ことさらに涙を流す。
しかし、悲しみや悲劇は、
実際の人生に、かくも溢れている。
それにもかかわらず、人々は、
実際の人生における他人の悲しみや悲劇を見て、
涙を流すことをしない。
この内村鑑三の言葉は、
現代の人間の感性の摩滅を、嘆く言葉にも読めます。
しかし、この言葉を深く見つめるとき、
ふと、もう一つの思いが、心に浮かんできます。
我々の摩滅した感性が、
目の前の「現実」の悲しみに、気がつかないのではない。
目の前の「現実」が、余りにも悲しみに溢れているので、
我々の繊細な無意識は、
それを見つめることに耐えられず
「虚構」の悲しみの中に、逃げ込もうとするのではないか。
その思いが、心に浮かんでくるのです。
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