「知識」という錯覚
プロ野球の大打者であった落合博満氏が、
テレビで、試合の解説者をしていました。
その日のピッチャーは、
切れ味の良いフォークボールが決まり、
三振の山を築いていました。
それを見たアナウンサーが、聞きました。
落合さんなら、あの鋭いフォーク、どう打ちますか。
その質問に対して、
落合氏は、答えました。
あのフォークを打つことは、できますよ。
あの球は、鋭く落ちるから、
落ちてから打ったのでは、打てない。
だから、落ちる前に打てば、良いんですよ。
この話を聞いた瞬間、
思わず、「なるほど」と納得しました。
しかし、すぐに、
この話の怖さに、気がつきました。
打撃の奥義を語った、その見事な解説に、
思わず、自分でも、
そのフォークが打てるように感じてしまった。
その錯覚に気がついたからです。
そして、それが、
我々が、いつも陥る錯覚であることに、
気がついたからです。
深い智恵を、単なる知識として学び、
その智恵を、身につけたと思い込む。
我々は、いつも、
その錯覚に、陥ってしまうのです。
2004年1月12日
田坂広志
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