「無責任」が創発するとき
昔、フランスのある貧しい村で起こった
不思議な出来事についての物語です。
その村の教会に長く務めた神父が、
遠くの村の教会に赴任することになりました。
その神父への長年のお礼として、
貧しい村人全員が、貴重なワインを一杯ずつ持ち寄り、
樽に詰めて、神父へプレゼントすることになりました。
そこで、出発の前日、集会所に次々と村人がやってきて、
置いてある樽に、一杯のワインを注いで帰っていきました。
そして、満杯になった樽を、村長が神父に贈呈したのです。
ところが、赴任地の村に到着した神父が、
その樽を開けて、ワインを飲もうとしたところ、
不思議なことが起こっていました。
そのワイン樽の中身が、水になっていたのです。
なぜ、このような不思議なことが
起こったのでしょうか。
実は、貧しい村人の全員が、
貴重な一杯のワインの代わりに、
そっと一杯の水を樽に注いでいたのです。
そして、全員、
自分一人ぐらい
正直にワインを注がなくとも
大丈夫だろう、
と思っていたのです。
この話は、片田舎の小さな村での出来事ですが、
現代の社会において、我々が日常的に目撃する
出来事でもあります。
「全員責任」を標榜する人間集団から、なぜか、
「集団的無責任」が創発してくる。
我々は、しばしば、そうした出来事を目にするのです。
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