「創造性」という過ち
昔、ある喫茶店で、
二人の学生が、熱心に議論をしていました。
二人は、美大で絵を専攻している学生のようでしたが、
耳に入ってくる二人の議論は、
「いかにして創造性を身につけるか」というものでした。
一人は、創造性に優れた作品を
数多く鑑賞することの大切さを語っていました。
一人は、無垢の心で自然に触れ
感じる力を磨くことの大切さを語っていました。
二人は、画家をめざす者として、
創造性を身につけたいとの情熱に溢れ、
謙虚に、そして、真摯に語り合っていたのですが、
その話を聞いていて、
なぜか、素朴な疑問が、心に浮かびました。
はたして、ピカソは、
「創造性」を身につけたいと思っていただろうか。
おそらく、ピカソの心の中には、
「創造性」という言葉は無かった。
そして、
彼の作品の中に人々が感じる「創造性」は、
彼にとっては、全身全霊での自己表現の
単なる「結果」にすぎなかった。
それが真実なのでしょう。
しかし、それにもかかわらず、我々は、
いつも、過ちを犯してしまいます。
「結果」にすぎないものを、
「目的」にしてしまう。
その過ちを、犯してしまうのです。
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