東洋思想とカオスの縁
生命的な現象は、いかなる条件で生まれるか。
この問いが、
現代科学の最先端、「複雑系」の研究において
大きなテーマとなっていますが、
その中で、興味深い言葉が使われています。
「カオスの縁」
生命的な現象は、
あまりに秩序立った「オーダー」の領域でもなく、
あまりに混沌とした「カオス」の領域でもない、
その中間の領域、すなわち、
「カオスの縁」において生じる。
たしかに、生命は、
すべての分子が秩序立った結晶の中に収まる
「氷結」の世界では生まれず、
また、すべての分子が自由に空間を飛び回る
「灼熱」の世界でも生まれません。
そして、この「カオスの縁」の理(ことわり)は、
物理や化学、生命や生物の世界だけでなく、
精神や文化、人間や組織の世界においても、
同様です。
あまりに秩序立った「軍隊型」の組織においても、
あまりに自由奔放な「放任型」の組織においても、
生命力に満ちた創造的な営みは生まれてきません。
そのことを考えるとき、
この「カオスの縁」という言葉が、
東洋思想の真髄にある、二つの言葉と
類似の響きを持っていることに、気がつきます。
「中道」
「中庸」
この言葉は、現代科学が生まれる遥か昔、
東洋思想の深遠な生命観が、
「カオスの縁」を洞察した言葉だったのかもしれません。
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