制約の中の自己表現
かつて、シンセサイザーという技術が世の中に現れたとき、
この新しい電子楽器を用いて音楽の地平を切り拓いた
冨田勲が、印象深い言葉を残しています。
「音のパレット」と呼ぶべき
シンセサイザーの出現によって、
画家が絵の具を混ぜ合わせ、
好きな「色」を作り出すように、
我々音楽家も、
自由に好きな「音」を作り出せるようになった。
この言葉どおり、冨田勲は、
この電子楽器を使って、様々な楽器の音を創作し、
ホルストの『惑星』など、
大編成のオーケストラの楽曲をも、
見事に演奏しました。
しかし、我々は、
彼の数々の素晴らしい作品を味わうとき、
その作品に感動する一方で、
もう一つの素朴な真実に気がつきます。
シンセサイザーの出現によって、
どれほど自由に「音」を作り出せるようになっても、
古くからあるピアノやバイオリンなど、
音の種類に「制約」のある楽器での演奏は、
決して無くならない。
そして、その意味を考えるとき、我々は、
大切なことを理解します。
アートの本質とは、「制約」の中での自己表現である。
そして、
もしそれが、
アートの本質であるならば、
我々の「人生」もまた、一つのアートである。
そのことを、理解するのです。
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