「知識」という錯覚
プロ野球の大打者であった落合博満氏が、
テレビで、試合の解説者をしていたときのことです。
その日のピッチャーは、
切れ味の良いフォークボールが決まり、
三振の山を築いていました。
それを見たアナウンサーが、聞きました。
落合さんなら、あの鋭いフォーク、どう打ちますか。
その質問に対して、
落合氏は、答えました。
あのフォークを打つことは、できますよ。
あの球は、鋭く落ちるから、
落ちてから打ったのでは、打てない。
だから、落ちる前に打てば、良いんですよ。
この話を聞いた瞬間、
思わず、「なるほど」と納得しました。
しかし、すぐに、
この話の怖さに、気がつきました。
打撃の奥義を語った、その見事な解説に、
思わず、自分でも、
そのフォークが打てるように感じてしまった。
その錯覚に気がついたからです。
そして、それが、
我々が、いつも陥る錯覚であることに、
気がついたからです。
深い智恵を、単なる知識として学び、
その智恵を、身につけたと思い込む。
我々は、いつも、
その錯覚に、陥ってしまうのです。
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